Home  Photo Museum  CompanyProfile  Blog  Link  Contact
メインメニュー
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
白石市の天気予報
白石の天気予報
24日11時、気象庁発表

日付 11月24日(金)
天気 雪 時々 曇り
雪 時々 曇り

詳細はこちら
検索


私の写真日記 Total:180 (180)

   データベースにある画像は 180 枚です    

最新リスト

31 番〜 40 番を表示 (全 180 枚)« 1 2 3 (4) 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ... 18 »


白石城の内堀に咲く萩

白石城の内堀に咲く萩高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-18 18:58    
ヒット数1348   コメント数0    
白石城の内堀、通称竪堀と呼んでおりますが、そこの土手むに三十メートルに亙り萩の花が六月下旬頃より九月中旬迄、萩の花が咲いており、すぐ側に八幡神社と銀杏の黄緑の葉と椛とのバランスが何とも言えず、其の間に竪堀があり、竪堀と萩の間に道路があり、道路は私の若き頃は哲学の道と言ってもてはやされ、何となくロマンがありますね。
萩の花は宮城県花でもあり、花言葉「柔軟な精神」な心で哲学の道歩くと何と無く安堵感が得られ為に、よく散歩に行く所です。
あなたもどうぞ行って見ては。  安穏  安穏

旧白石町に残る数少ない茅葺の家

旧白石町に残る数少ない茅葺の家高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-18 15:02    
ヒット数1220   コメント数0    
白石城の入口にあるこの茅葺の家は、昔は内堀から水を引いて水車を回し、温麺の原料にする粉を作る作業小屋なそうで、母屋はこの上にあり、当主は勝手白石市の総務部長で退職し、現在は南町区の自治会長でもあり、各種の役を務め白石市の発展に貢献しています
先祖は片倉家の剣道指南役を勤め、武家屋敷の近くに住んで居たそうですが、色々な事情があった為、現在地に安政年間に移転し、剣道指南と温麺作りに励んだそうです。
終戦後は温麺工場と水車小屋は貸家にしておりましたが、十年前に空き家になり、母屋を改装して後で、自治会の集りや、友人の会合のの為、水車小屋を改装し茅葺の家作ったそうです。この話は友人達よりよく耳にします。ボランテイァも大変ですね。
同じ区で人も、友人達も。   感謝、感謝 

萬蔵稲荷の赤い鳥居

萬蔵稲荷の赤い鳥居高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-16 16:01    
ヒット数1253   コメント数0    
前にも萬蔵稲荷の事はプログに書きましたが、やはり稲荷様の特徴は商売の神様で、商売繁盛する為とか、成功した為に種々商売をやっている方が、鳥居を奉納している様です。
特に水商売の方と福島県の方々が多いの様ですが、それは羽州街道であり、出羽三山信仰と参詣の安全を祈願し、無事に帰れる事を祈願したからと思います。
現在の神主は各種の祈願と占いを行い、それば良く当たるそうで参拝客は絶えず、そのお礼でしょうか、新しい鳥居が上がっています。少し県境まで言って阿武隈川と福島盆地を見るのも良いではないでしょうか。
春夏秋冬良い景色です。一見の価値があり。

小原地方で涅槃像に見える山、鎌倉山

小原地方で涅槃像に見える山、鎌倉山高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-16 15:40    
ヒット数1142   コメント数0    
スパシュランドパークの上にある山が通称鎌倉山と言い、丁度対岸から見ると仏が涅槃している様に山が見える。その写真を撮るようにと当時スパシュランドの支配人、鈴木博殿から依頼があり、それも春夏秋冬の写真が欲しいと言われ、四枚の写真を撮り、其れを如何すると聞いた所スパシュランドの食堂に飾り、スパシュランドの観光の目玉にしたいと言っており、特に鈴木博殿は観光に対し、かなりのアイデヤマンでしたから、それなりに役に起ったと思います。
鎌倉山は片倉小十郎がムカデ退治でも有名で山で、涅槃像の山でもあり、その上緑の節のこの山は綺麗、一幅の風景画です。
小原地方に来た時は113号線より見え、その後にスパシュランドで楽しめば、1日有効に使えます。

緑の中にある桃の花

緑の中にある桃の花高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-16 14:19    
ヒット数1105   コメント数0    
スパシュランドパークの絢爛な、芝桜をみたあと、それより数百メートル離れた所に百本程の桃の花が咲いており、今まで広くて、綺麗な芝桜を見た後、おっとりとした、気立てのよさが新緑の中に咲いていたのを見て、何となくゆったりとした気持ちになりました。
それが唐の国、王妃陽貴妃が愛した桃の花は赤ばかりでなく各種の色取り混ぜ、特に三色の花が咲く「花桃」と桃の花が十万本も植え、それが桃源眺と称されますますが、花言葉とは違い傲慢さ感じる。
それに比べ゛此処の桃の花は花言葉「気立ての良さ」の様に、私達に安心感を与えると思う。
私も人も草木も、森羅万象が安心感のある所に住みたいと思っておる。   儚い望を叶えたまへ
    アーメン

五月の蔵王連峰と白石城

五月の蔵王連峰と白石城高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-15 11:30    
ヒット数1611   コメント数0    
五月になると周辺が緑に包まれ春を謳歌する季節に成りますが、私は特に草燃える頃、即ち草が芽生える頃が大好きです。それは子供が生まれ前途は洋々と開け是からは私の時代であると言っている様です。
私は今七十二歳その様な事は望みべくも無いですが、其の風景を見る時は歓喜の極です。
五月の白石城は緑に囲まれ、白い壁と屋根全体がくっきり見え、まるで一幅の絵の様で私達に感動を与えてくれた上、蔵王連峰の屏風岳には水引入道の雪形が現れ、我々対し、もう田植えの節であると教えてくれます。先人は自然の理に因み行動をしていた事で、何に附けても自然と共に生きていたのですね。
我々も、自然環境を大切にすべきですね。願を込めて


女子中学生の様な新鮮な花

女子中学生の様な新鮮な花高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-15 8:45    
ヒット数1371   コメント数0    
友人の奥様は花木が好きで庭一杯に植え楽しんでおり、特に友人は国民学校の同期で、私も住む所が五回変わりましたが五年位すると近くに住むと言う不思議な縁で、現在も直ぐ後ろに住んで居りますから、奥様が丹精込められた花をちよいとバチリと写真を撮って来ます。彼女は気さくな人だけに何時でも勝手に写真を撮らせて頂いております。
この花は門の側に在りました、何となく可憐な花だと感じ写真に取りました。多分花の名は金鶏菊でニュージランドの国鳥の金鶏を謎って附けたと思います。
十代前半の女如く花言葉は「新鮮で華やか」で言行一致した花で若き日の事を思い出させます。

溌剌した声第二小の子供の声

溌剌した声第二小の子供の声高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-15 7:58    
ヒット数1264   コメント数0    
観桜と桜の写真を撮る為、在来線の所を歩いていたら、子供達の叫び声が聞こえて来るではありませんか
その声を追って行ったら、第二小の生徒たち五十人程
先生を中心として、サッカーに興じており、暫らくぶりで見る光景、蔵王連邦と第二小校舎及び生徒達を一枚の写真にパチリ。
第二小の校舎は世界建築賞の金メタル賞を獲得したと言う、日本でも優秀な教育設備です。
あなたも一回見てみませんか。五人以上で市役所に申し込むと先生が案内してくれます。
後世残る建築物は早く見ておくべきです。推薦します

花に囲まれた大高山神社

花に囲まれた大高山神社高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-14 19:00    
ヒット数1194   コメント数0    
大河原町の白石川堤防に柴田町まで続く名称千本桜があり、それは明治の白石川の改修で植樹した桜と言う事です。その桜が咲いた時は、それは綺麗ですがそれ以上に綺麗なのが旧金ケ瀬村の大高山神社と側を流れる白石川の堤防に植えられた二百本位の桜です。
特に大高山神社の桜は圧巻で、桜の下に椿が多数植えられて、赤とピンクの色のハーモニィーは何とも言われません。
白石の観光に大河原町の金ケ瀬を上げたと言うと金ケ瀬村の半分は片倉家の領地で半分は船岡の原田家の持分だと言う事で、大高山神社を含む半分の家の玄関は片倉家に対し失礼当ると白石に向き、後の半分は船岡を向いております。
不思議な事ですが、その時の権力者の意向で色々と変わるもので、注意して世情を見詰たいと思います

何故消えた鉢盛山のうるいの群落

何故消えた鉢盛山のうるいの群落高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2007-6-13 18:06    
ヒット数1274   コメント数0    
私が国民学校五年の時の遠足は、今時の楽しんでやる様な行事とは異なり、大東亜戦争の末期ですが、軍国主義が盛りで、国民学校の五年の体力と精神力で何処まで歩けるかし言う物で、今では考えられない事です白石より小原山(鉢盛山)を越え赤坂の部落を経て小原温泉に行くと言う、明治以前の小原街道行く事でした。難行苦行し、小原温泉に着きましたが、その時一番楽しかったのは、昼の休憩時間、鉢盛山頂上で皆と日の丸弁当を食べた事で、其の場所の周りにはうるいの群落があった事を奇妙に覚えておりますが、二十年前からうるいの群落は消えました。
多分、山菜採りのマナーを知らない者の仕業と思います。此処に載っている花はうるいの花でこれも見られなくなり、誠に残念なことですね。
最っと自然を大切に  残念 残念

31 番〜 40 番を表示 (全 180 枚)« 1 2 3 (4) 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ... 18 »



最近の画像
Copyright (c)  2006 KAWAI-SEKIYU.Inc All rights reserved.