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白石城の菊祭の作品その一

白石城の菊祭の作品その一高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-11-23 9:30    
ヒット数1415   コメント数0    
白石城が復元して、白石城の物語、白石城のラベルを貼ったこけしとか、甲冑、太鼓の白石囃子、等々沢山の物が複活し、予想以上に繁盛しましたが、何と無くもの足りなさがあり、皆様がいろいろ考えました時、当時の白石市の施政者がそれは「菊祭」であると発言した所、白石市の菊愛好会の皆様が協力すると言って、現在も続いており、この写真は今年の優秀な菊の一つです。

今も残っている武士階級の温麺工場

今も残っている武士階級の温麺工場高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-11-23 9:08    
ヒット数1254   コメント数0    
片倉小十郎が白石に着任してが、伊達家の重臣で南方面の守りを固める為、所領以上の軍備を命じられたので、片倉家は貧乏のために、家臣に対し扶持を多く与えられなく、家臣達は内職に温麺作りをして、身分を維持したそうです。
それ故、動力源は堀の流れを屋敷内に引き入れ、水車を廻し粉を作り、そして温麺を作ったそうです。
その名残がこの屋敷で大正から昭和初期まで稼動したそうです。
数年前まで当主がいて色々説明してくれました。

小阪峠からみる福島盆地

小阪峠からみる福島盆地高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-11-2 15:09    
ヒット数1271   コメント数0    
平安京の時代から、貝田部落より(福島県と宮城県の境の部落)南に住んで、出羽三山参りに行く方は、う羽州街道の起点、藤田部落よりこの難所と言われている小阪峠を登り、上戸沢部落で検査ょ受け、下戸沢に宿泊し五ヶ月掛かりお参りし、帰宅した様です。
途中道が悪かったり、山賊に襲われたり、狼に付回されたり、非常に困難の旅であったと思われます。
其れでも、一生に一回行けば、其の後は極楽がまっている信じお参りをやったと聞いており、信仰の力は大変なものですね。
何事に於いてもそう言う力があれば、何でもやれますね。私始め今の人に爪の垢でも煎じて飲ませたいものと思います。

伊達藩と福島藩の境の部落 上戸沢

伊達藩と福島藩の境の部落 上戸沢高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-11-2 14:45    
ヒット数1273   コメント数0    
此処に残っているのは伊達藩と福島藩との境界である下戸沢部落で戸数は大体五十くらいと思いますが、旅人の検査をする検断屋敷があり、昭和四十二年に将来残したい町並みとして、指定を受けましたが、当地方は歴史、文化、温泉があったのに、当時の首長がその指定を返還したので、今は完全なる過疎の部落になり、本当に残念と思います、
仮定ですが、その当時は全んと萱葺きの家で、私の古いアルバムに有りましたが、まだ15歳の若かりし頃で、あまり興味が無く紛失した様で困ったもの思うと共に指定を受け復元しておれば、会津若松の大内郷の様な一大観光地になったと想像できます。
本当に残念ですね、腹水盆に帰らずですね、

現在も繁盛している萬蔵稲荷

現在も繁盛している萬蔵稲荷高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-11-2 10:06    
ヒット数1276   コメント数0    
昔、上戸沢の宿に修験者の一族がおり、その名は熊谷家と言い今の萬蔵稲荷の先祖であります。
その熊谷家に生まれた萬蔵は小阪峠ぉ往来する、馬方として働いており、その当時は出羽三山参りの旅人でかなり忙しい様で、小阪峠を登ってくると旅の老僧が弱っていたので、馬に乗せ上戸沢の宿まで連れてきたそうです。次の日その老僧が同じ所に現れ「私は稲荷大明神である」告げ、馬三等をお礼として置いたそうです、
萬蔵は馬を金に替え稲荷堂を建立し、自分は出羽三山で修行し位の高い修験者となり、萬蔵稲荷と名付けられ、商売繁盛、安産、交通安全、方位学の神として、現在も繁盛しております。
一回でも見ては如何ですか?

旧羽州街道に残る出羽三山参りの安全の碑

旧羽州街道に残る出羽三山参りの安全の碑高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-11-1 17:42    
ヒット数1289   コメント数0    
田の刈り取りが終わり、稲杭の向こうに、羽黒山、湯殿山、月山、鳥海山の参りの旅の安全を願う碑が見えます。
その頃は出羽三山信仰のため、一生に一回お参りする事望みで、今は簡単に行く事が出来ますが、当時は片道で二ヶ月程掛かり、往復で五ヶ月位は用したと聞いております。
今で言えば世界旅行でもする感じと思いますが、それ故、旅の安全と無事に帰宅されるのを願って、何処に行っても、旧街道には出羽三山の碑が有るようです。

山岳信仰の羽州街道に残る念仏講の碑

山岳信仰の羽州街道に残る念仏講の碑高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-11-1 17:22    
ヒット数1082   コメント数0    
下戸沢を過ぎると出羽三山参りの安全を願う碑が立つておりますが、注意して見ないと分りません。
裏を見ると天保年間に建てられ、正面には念仏講と書かれておりますが、多分何回か建て石が軟い為、何代目の建立された物と思われます。
念仏講が栄えたのは浄土宗の時で、今より100年前で平安京時代であり、多分江戸時代にお伊勢参りが江戸の人々持て囃され頃、奥羽の人々は出羽三山参りをした様で、その当時は下戸沢の宿は福島方面の方々の宿として栄えたので、碑が建立されたと思われます。

今も残る羽州街道の宿 下戸沢

今も残る羽州街道の宿 下戸沢高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-10-24 17:55    
ヒット数1505   コメント数0    
下戸沢宿は七ヶ宿の一つの宿で、上戸沢とは一つとして数えられておりますが、今は全んと無くなりましたが、私が50年前に行った時は、本陣は部落の中央にあり、聞いた話では検断問屋も兼ねており、参勤交代のあった江戸時代はかなり栄えていたそうです。その周辺には秋田家、にしんや、梅の家等が私が行った時は在りまして、特に、鰊家を尋ねたね、屋敷の中を案内され時、そこの主人は身長が六尺、体重が三十貫と恰幅がよく重厚で貫禄のある人で、家柄の人と感じると共に、庭の立派なに驚かされを記憶しております。
もう一度、その世界に行きたいと思います。

鎮守の社 八幡様

鎮守の社 八幡様高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-10-24 17:21    
ヒット数1194   コメント数0    
白石城の一郭に八幡神社が祭られておりますが、西益岡区の市神でありますが、その昔は白石城の中で祭られており軍の神様として信仰を集めており、白石城が落城した時に残され、西益岡の市神として残ったと思われます。
その為、通常神殿の中にある御神体は、判官屋敷の亘理家にあり、祭事の度ご本体が神殿にお戻りになるようです。
只、白石で他と違う所は、片倉小十郎のご廟所から八幡様を通して、子孫の事を案じながら白石城を見守っていると言われており、先祖は何時までも子孫を守っていると伝えられております。

皆に見せたい明治元勲及び軍人の書

皆に見せたい明治元勲及び軍人の書高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-10-12 10:14    
ヒット数1422   コメント数0    
前に白石の神明社の事で、当地方の習慣の事を書きましたが、今依り100年前当時の宮司が皇道派の指導者であった為、神明社の社殿には明治から昭和に駈けて、政治家とか軍人の書が100枚程懸かってありますが、機会があれば是非共一見の価値があります。
是非共、来白して見てはどうですか。私は期待に沿うと思っております。

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