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白石市の天気予報
白石の天気予報
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日付 9月22日(日)
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曇り のち 雨

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蓮にもあった白い花

蓮にもあった白い花高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-22 10:52    
ヒット数1742   コメント数0    
私は蓮は赤いのだけと、思っておりましたが、白い花もあるので吃驚しました。
この花は白石川の支流 横川と言う蔵王連峰の一つ不忘山を水源とする、非常に綺麗な川で上流の横川部落ではごく最近まで、飲料水は勿論の事、食器洗い、いわゆる炊事、洗濯まで使用していた川で、その水を引いて休耕田に蓮根を栽培し、面積にして田三枚分、赤い花が二枚、白い花が一枚で、株数で千五百株以上、私も蓮根畑を初めて見、花が綺麗なので、非常に驚きました。来年も作ってくれる事を期待したい物です。

白石地方にもあつた蓮根の花

白石地方にもあつた蓮根の花高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-22 10:51    
ヒット数1565   コメント数0    
過っては、当地方の沼にはたくさん蓮根が自生しておりましたが、終戦後の食料難の時代に食べ尽くし、その後に種を植えなかった為、皆無に為ってなしまい、現在の当地方の沼には、蓮根はありません。
何せ、食料難の時食べた人々は、第二次世界大戦で東京が空襲に遭い、命からがら疎開して来た人々で、知り合いも、親類もいなかったため、随分悲惨な思いをし、薩摩芋のへたまで、腹が減って食べた人達なので蓮根はかなり上等の食べ物であった事と思います。
只、農業をやった事の無い人ため、その後の種芋を植えることを知らなかった思います。
それ故、蓮の花が消えた事が想像出来ます。そう言う世の中に、今後為りたくないですね。

小原温泉の源泉 かつらやの湯

小原温泉の源泉 かつらやの湯高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-21 10:34    
ヒット数1569   コメント数0    
この風呂は小原温泉の源泉であると言われておりますが、現在はかつらやの元湯から、湯を引いて来てかつらやの湯(元湯)を復活させたのです。
私が幼少の頃、祖父母に湯治に来た時は風呂の下からと川と両方から湯が湧いており、川が増水すれば、少しぬるくなり、通常は暑く川の水を入れて入浴しており、勿論男女混浴でした。
今、思い出せば昔懐かしい風景ですし、自然が誠に綺麗で、春夏秋冬何時でも楽しめます。
ご来白を期待しております。


白石川に懸かる碧玉渓の二番目の吊橋

白石川に懸かる碧玉渓の二番目の吊橋高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-21 10:13    
ヒット数1583   コメント数0    
碧玉渓には、二つの吊橋がありますが、現在でも渉れる吊橋は此の橋だけで、四五年前に付け替え現在に至っており、その前は可なり危険な橋でした。私などは恐ろしくて渡れませんでした。
この橋は、私が記憶している範囲内では芸者置屋があり、そこに行く為だけの吊橋で、地盤の変動で崖崩れで芸者置屋がなくなったので、用がなくなりましたが
観光資源の再生と言う事で、碧玉渓の遊歩道建設した時、この吊橋が再利用され、再三にわたり、架け替え、修理されて使用されております。
記念、良い物は残して置く物ですね。

自然の恐ろしさを語る碧玉渓の川の流れ

自然の恐ろしさを語る碧玉渓の川の流れ高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-19 9:13    
ヒット数1633   コメント数0    
かって碧玉渓の水の流れは、下に玉石があって、その上に綺麗な安産岩があり、そのなかには水晶があり、本当に綺麗でしたが、今は溶岩の塊の様な黒い石が多く、かっての様な清流の流れは碧玉渓にはありませんが、下流の小久保平に登る吊橋の下の流れにはかろうじて残っております。
もう少し足を伸ばしてその辺を見ては如何ですか。白石川本来の清流と今は渉れないが古色蒼然たる吊橋を見る事ができますので、お奨め致します
是非共見学して下さい。

碧玉渓一の奇岩 入道岩

碧玉渓一の奇岩 入道岩高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-18 16:49    
ヒット数1607   コメント数0    
碧玉渓の中で色々な岩が固まって出来て、一番大きい岩が入道岩で、四季其々に景色が変わる岩で、私は新緑の時が一番可憐で綺麗であると思いますが、通常皆様は紅葉の時が綺麗だと言います。
何せ、じょうかい岩の為、軟く、脆い為、直に風化し、雨に弱く崩れやすいので、私が見た50年前に比べれば、一割ほど右側の岩が崩れており、あと何年すれば下にある石の状態になると思います。
歴史と同じで有から無の状態になるのですね。
地球も無常な物ですね。

風雪に負けた温泉宿

風雪に負けた温泉宿高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-16 17:50    
ヒット数1636   コメント数0    
小原の名所碧玉渓の遊歩道の中で只一つある温泉宿は明治の頃建設した物で、木造四階建の建築物で、今完全に残っていれば、明治の記念物として残したい物の一つであると思いますが、何せ小原の地層は地盤が弱く、常に土地が流動的で動いており、山崩れ、道路の陥没が起き、土建業者の泣き所でもあり、反面儲け所でもあります。
現在の道路も全面改装を三回も行い、未だ毎年手直しをしておる状態で、雨が降ればすぐに洪水になり、地盤が移動し、個人の力では何ともとも出来ず、幾らかでも公的援助があれば、改修も可能の思いますが、それも無く本当に残念です。(この温泉宿は明治以前に建てたそうです。)
何とかしたいものですね。皆様の考えを待っております。

最後に見た鮭 碧玉渓の淵

最後に見た鮭 碧玉渓の淵高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-9 9:18    
ヒット数1490   コメント数0    
鮭が生まれた所に戻る習性がある事は皆様もご存知の通りですが、今は白石川には回帰しません。
それは白石川は阿武隈川の支流ですので、昭和30年頃白河パルプ(現在は三菱製紙)ができ、紙を製造する為有害な薬有機リンサン等を使用した為に、阿武隈川に魚が住めなくなり、只、公害に強いおおがい、ウグイ、鯉、鮒ぐらいしかおらず、当然海で成魚に成り生まれた所に回帰する鮭は、阿武隈河の支流である白石川には戻って着ません。
それが、偶然にも商品の売買の為、小原方面行ってその帰りの時、当時新湯の若旦那と友人がこの淵で鮭を取るに行く時、訳も判らず追いかけて淵まで行き、二人で投網を打ち30分程打ちながら、鮭を追い詰め最後に、潜ってやしで鮭を取りました。
思いだせば昭和38年11月でした。懐かしいですね

徳富蘇峰が名付けた天下の美景 碧玉渓

徳富蘇峰が名付けた天下の美景 碧玉渓高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-9 8:29    
ヒット数1463   コメント数0    
この道路は明治の世に為ってから出来た物で、我々以前出生した方々は小原新道と言っており、この道路のお陰で、小原の八森山を越えずとも白石に来る事が出来、白石の方々も小原温泉に行くのに大変便利になり、私達兄弟も湯治に再々祖父母に連れて行かれ、当時はのんびりしてたのでしょうね、二週間くらすか、多い時には一ヶ月ま湯治をしてたようです。
その時、我々は退屈して小原新道を歩いていた時見つけ、下を見れば千尋の谷底で、ましてや、今の道路から比べれば三分の一ですから恐ろしくて見る余裕などありませんでしたが、蘇峰が名付けた所ですから、思いだせば、現在の景色の数段上の様な気がいたします
是非来白して、案内人に聞いてはどうですか。

今の社会はこの花の様に生きるべき 姥百合

今の社会はこの花の様に生きるべき 姥百合高ヒット
投稿者haruoharuo さんの画像をもっと!    カテゴリー私の写真日記    前回更新2006-9-9 8:25    
ヒット数1736   コメント数0    
この花は、昔から女性が生きる為の術を教えている花で、昔のひとに女に対し少し軽んじていた様で、したたかな女を例えて言っておりました。
姥百合の姥は姥捨山の姥で、ある程度の年齢になると働く事が出来なくなり、ただ飯食らいになり、一家のお荷物になり、養う事が出なくなり、泣き泣き犬・猫を捨てる様に一週間くらい食料を与えて山に捨ててくる、捨てて来ないと自分達家族が全滅しなくてはならない。その当時は日本は人口三千万人の自給自足時代でした。
よく楢山節講で出る話ですね、その時はすべらこく(辛抱強く、強かに)
生きる女姓の例で、又悲しい話ですね
今だつたら貴方はどうしますかね.ハテナ

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